全ての出来事は愛の中① バレエダンサーの娘を持って。。
この写真は昨年2019年年10月。
ジョンクランコ版「白鳥の湖」オデット/オディール デビューの写真です。
ようやく出しても良いかな?と思えるようになりましたので、公開させて頂きます。
これまでの道のりのお話はかなり長くなりそうなので、何度かに分けて書かせてください。
<小学生時代>
娘がバレエを始めたのは3歳の時。私がバレエファンだったからです。
小学5年生あたりから、プロを目指すと言い始めました。
普通のサラリーマン家庭だった我が家にとって、これから先にかかる
費用は想像すらつきませんでした。。。
普段のレッスン代に加えて、
コンクール費用(コーチ代、衣装代、付き添い費、御礼)
発表会の費用(出演費、衣装、ビデオ、写真、その他諸々)
トウシューズ代(1足7,000〜8,000円)を1ヶ月足らずで吐き潰してしまいます。
毎月が自転車操業のようでした。
娘ふたりがバレエを習うとマンション買えるのよ。。。
と聞いてはいましたが、、、確かに。。。。
マンション買えたと思います。。
悩んで義母に相談すると、「辞めさせる道をつけるのも母親の仕事ですよ。」
とアドバイス頂きました。
このことは、、ずっと私の頭の中に一問一答となり、、、常にありました。
それでも、本気でプロを目指し、この子にとってそれが道なら、
きっと、、きっと、、、どうにかなるはず。。それを信じよう。
この頃は夫もバレエを目指すことに反対していました。
どこかで私はそれ(プロになること)を(信じることを)信じておりました。
小学6年のとき、東京のNBA全国バレエコンクールに参加しました。
これが一つの分岐点になる。と直感していた私は、
娘に「もしも、プロになりたいなら、留学費用はスカラーシップを取らないと
留学させることはできない。妹も弟もいるからね。貴方にだけお金をかける事は
できないのよ。そして、本気で続けたいなら、このコンクールで入賞すること。
小学生の間はね、日本で一番頑張った子が1番になるのよ。」
と、、今にして思えば。。半ば、、強迫!?パワハラ!?(汗;)
とも取れる発言ですが、、
当時の私は、、パパにその道に進むことを理解してもらう事が一番重要。
と思っていて、
そのパパに納得してもらうには、ある程度の順位をとる事。
と考えていました。
毎晩一緒に入るお風呂の中で、、、娘と二人ミーティング。。。
娘もきっと母親の無茶ぶりにいろいろ思うこともあったでしょうが、、
素直に頑張りました。
私は心の中で、、もしも今回のコンクールで何の結果も出なければ、
義母の言葉を受け入れようかな?
、、と実は真剣に考えていました。
数年前、家具の後ろになって開かずの窓。。にしていた窓を掃除しようと。。
窓をゴシゴシしていたら、、何やら汚れ?よくよく見ると。。。
そこは昔、娘の机の上の窓だったのですが、、、
当時、流行っていたジェルペンで
『がんばれコンクール!!』
と書いてます。。そう言えば、、、そうだった。。。。
毎日、毎日。。。頑張っていたなあ〜。あの時。娘も私も。。。
当時の娘の気持ちを思うと。。。
涙。。。涙。。。
スミマセン。。。お隣さまの屋根が映り込んでしまっています(汗。。)
そして、そのコンクールの結果は
3位−2。実は予選では2位通過をしていたこともわかりました。
まさか、、、そんな上位の賞を取るとは。。。そこまでは思っていなかったので、
正直、びっくりでした。
パパも驚いて、ようやく、、本気で頑張るか。。
と言ってくれました。
子供の将来を考える時、、夫婦で同じ方向を見ていること。。
これはとても大切なことです。
その後プロを目指すために、娘は大阪の元々在籍していた
ソウダバレエに中学2年の時戻りました。
(ここには小学2年まで在籍していたのですけれど、
私が長男を妊娠して送り迎えが困難になったので家から一人で通える
お教室へ変わっていたのです)
ソウダバレエまでは電車で1時間以上かかりました。
夜のレッスンが終わるのが23時。そこから慌てて電車に飛び乗り、
地元の駅に着くのが、、24時05分。。
高校生1年の夏に留学するまでそれは続きました。
はあ〜〜、、、私も若かった〜〜。。
今は、、、長男の22時の塾帰りのお迎えするのも、、
ふらふらです。。。
娘もよく頑張ったと思います。。
でも、、これは今の時代ではあまり推奨しません。
高校生になるまでの子供の成長にとって、睡眠は、、とても
重要です。娘ももっと早く寝れていたら、、
身長もあと3センチ以上伸びていたと思います。
バレエの世界で、身長。。ある程度重要です。
この写真は小学6年生の時。
ソウダバレエに移り、宗田先生のゴシゴシ磨き(と、、当時は噂されていました)
イエ...ご指導を頂き、、、
この時代のお話をしだすとキリがないくらい宗田先生の逸話はありますが。。
まあ、まあ、、それはさておき、、
高校1年の春。アメリカのキーロフアカデミーに全額奨学金で留学することになりました。
願えば、、、諦めなければ、、夢は叶うものです。。
ソウダに移る前に習っていた、先生はドイツでプロとして踊っておられました。
その先生が、、バレリーナになるためには。。。
「諦めないこと。。。」
そして留学先、バレエ団を選ぶときに大切なことは、、
「バレエ云々よりも、、そこで住む。。と言うことを
1番に考えて決めた方がいい」
と教えてくださいました。
この言葉も、、後にとても納得のいく、、
経験ある先生がおっしゃった、、とてもとても大切な言葉となりました。
今日はここまで。。。
今日は少し曇り空。。頭をすっきり爽やかに。。